仙台市青葉区にある
仙台市立木町通小学校(きまちどおりしょうがっこう)
この木町通小学校の概要
- 児童数や学級数
- 通学区域
- 口コミ・評判
- いじめ対策について
- 学区内の町の歴史
など紹介しています。
近々小学校に上がるお子さんがいる方、転勤で仙台にいらっしゃる方、ご参考にしてください。
仙台で最も古い小学校のうちの一つじゃ
仙台市立木町通小学校の児童数、学級数、進学中学校
- 住所:仙台市青葉区木町通1丁目7-36
- 電話:022-223-3480
- 学級数:20(1学年2~3学級、特学4学級)
- 児童数:522人
- 進学中学校:第二中学校
- 最寄りバス停:東北大学病院前から徒歩1分
- 最寄り地下鉄駅:北四番丁駅から徒歩6分
木町通小学校沿革
- 明治6年四番小学校として創立
- 明治12年木町通小学校に改称
- 平成9年東北大学医学部付属病院に院内学級開設
- 平成17年東北大学病院分校開校
※児童数・学級数データは令和4年
卒業生・有名人
- 森公美子(オペラ歌手、タレント)
- 土井晩翠(詩人、荒城の月作詞者、木町通小学校の校歌も作詞、明治11~13年まで在籍)
木町通小学校の通学区域
下記の住所が「仙台市立木町通小学校」の通学区になります。
青葉区
- 柏木1丁目1-14~1-35
- 柏木1丁目4-21~5-18
- 春日町
- 木町通1丁目
- 木町通2丁目1-14~1-41
- 木町通2丁目2~5
- 木町通2丁目6-14~6-42
- 国分町2丁目14-6~14-29
- 国分町3丁目2~5
- 国分町3丁目6-5~6-20
- 国分町3丁目8~11
- 桜ケ岡公園4~4の終り
- 星稜町1~2
- 星稜町3-21~3-21の終り
- 星稜町4~4の終り
- 立町23-19~23の終り
- 立町26~26-2
- 立町26-10~26の終り
- 立町27-9~27-10
- 立町27-15~27-32
- 支倉町
- 広瀬町1~3
- 広瀬町4-6~4の終り
- 広瀬町5-14~5の終り
- 二日町2-7~2-22
- 二日町3~5
- 二日町6-5~6-22
- 二日町7-6~7-22
- 二日町8~10
- 二日町11-11~11-20
- 二日町14-8~14-21
- 二日町15~17
- 二日町18-8~18-18
※上記は木町通小学校が指定学校の住所です。学区境界の住所地では選択可能校がある場合もあります。通学区見直しなどもあるため、必ずご確認ください。
気になったら駅名・住所で住まいを探してみましょう。電話不要、メールで問い合わせできます。
木町通小学校のいじめ対策について
いじめに関しては、親として非常に気になるところです。
しかし、実際に木町通小学校に子供が行っている親でも把握するのは難しいのが現状です。
こちらでは、仙台市立木町通小学校が出している「いじめ防止のための対策」としてどんなことを行っているのか紹介します。
※リンク先の中にpdfファイルもあります。スマホで見れない場合は、Adobe Acrobat Readerなどpdfファイル表示アプリをご利用ください
木町通小学校の評判・口コミ
青葉区木町にある木町通小学校は、地下鉄北四番丁駅から、徒歩10 分以内にあり、街中にある小学校です。
校庭もありますが、あまり広く無い校庭です。
街中にあるから仕方ない感じがします。
校門も頑丈な大きな門扉で、セキュリティもしっかりしているに思えます。
仙台市の北部にあり、建物が会社のビルのような近代的な建物です。ここは東北大学の医学部が近いことから、医者のお子さんが多く、学力レベルが非常に高い学校です。是非一度訪問してみて下さい。
木町通小学校は国道48号線と晩翠通りの交差点角にあり、比較的仙台市の中心部に近い小学校です。
道路を挟んで北西側には東北大学病院という大きな病院がありますが、この木町通小学校の付近にはそれ以外にも何故か大小数多くの病院が点在しています。
明治6年開校のこの学校は、仙台市でも最初期に設置された歴史ある小学校ですが、戦時の大空襲で一度焼失してしまった経験を持っています。
現在の児童数は1学年2〜3クラスで、全校児童440人前後です。東北大学病院に入院している児童を対象に、病院内に分校という形で1学級開設しており、この点が地域性からくる特殊なところと言えるでしょう。
仙台市内でも初期に設立された、130年以上の歴史ある小学校です。
代々地元でご商売をされているご家族が通う小学校なので、祖父母から三代に渡って通う子供も珍しくありません。
晩翠通りと国道48号線との交差点にあり、10年程前に市民センターや児童館を併設した高層の新校舎になりました。
卒業生には詩人の土居晩翠がおられ、今でも学校の誇りとなっています。
木町通小学校学区内の町の歴史
現在の仙台市の基礎を作った伊達政宗の城下町仙台は、
- 仙台城(青葉城)を出て広瀬川の大橋を渡り大町(七夕が飾られるアーケード街のマーブルロードおおまち)へつながる東西幹線
- 城下町建設に伴い導入した南北幹線の奥州街道(現国分町通り)
この東西と南北を走る道路を基軸に、碁盤の目状に町割りが行われました。
また、街は侍(さむらい)の住む「丁(ちょう)」と、足軽、町人、職人が住む「町(まち)」に区別されていました。
木町通
現在立町郵便局からホテルグリーンアーバのある通り沿いは江戸時代初め「材木町」、通称木町と呼ばれており、仙台の町の材木を扱っていました。
この材木町(木町)へ北山の覚範寺からまっすぐ通じる道を木町通と称しました。
現在、大学病院東側を走る広い道路とそれに続く木町通小学校校庭の西を走る通りです。
江戸時代、この木町通は町人の町として栄え、現在も細い往来沿いには様々な商店が軒を並べています。
木町通小学校の概要、通学区、いじめ対策、評判・口コミおよび学区内の町の名前の由来について紹介いたしました。
木町通小学校へ進学、転校する際の参考にしていただければ幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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