新田小学校の口コミや評判・通学区の住所、いじめ対策、どんな街

新田小学校の評判・口コミ、通学区域 仙台の学校

新田小学校の評判・口コミ、通学区域

仙台市宮城野区にある

仙台市立新田小学校(しんでんしょうがっこう)

 

この新田小学校の概要

  • 児童数や学級数
  • 通学区域
  • 口コミ・評判
  • いじめ対策について
  • 学区内の町の由来や歴史

など紹介しています。

近々小学校に上がるお子さんがいる方、転勤で仙台にいらっしゃる方、ご参考にしてください。

猫手政宗
猫手政宗

学区内の新田東は転勤族に人気の町じゃ

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仙台市立新田小学校の児童数、学級数、進学中学校

仙台市立新田小学校

  • 住所:仙台市宮城野区新田4丁目30-1
  • 電話:022-237-4835
  • 学級数:34(1学年5~6学級、特学3学級)
  • 児童数:1071人
  • 進学中学校:東仙台中学校、一部西山中学校
  • 最寄りバス停:新田二丁目東から徒歩3分
  • 最寄り駅:仙石線小鶴新田駅から徒歩13分

新田小学校沿革

  • 昭和41年仙台市立新田小学校開校
  • 平成27年校舎改築工事完了
  • 新田東4丁目の一部の住所が西山中学校に進学します

※生徒数・学級数データは令和元年

他の仙台市内の小中学校全般について見てみる

新田小学校の通学区域

下記の住所が「仙台市立新田小学校」の通学区になります。

宮城野区

  • 新田1丁目
  • 新田2丁目
  • 新田3丁目
  • 新田4丁目
  • 新田5丁目1~1-32
  • 新田5丁目1-34以降
  • 新田東1丁目
  • 新田東2丁目
  • 新田東3丁目
  • 新田東4丁目
  • 新田東5丁目
  • 小鶴字後堤
  • 小鶴字内沼
  • 小鶴字草谷地
  • 小鶴字境谷地中
  • 小鶴字境谷地西
  • 小鶴字七反田東
  • 小鶴字七反田南
  • 小鶴字千刈田
  • 小鶴字銚子口
  • 小鶴字築留
  • 小鶴字野谷地東
  • 小鶴字野谷地南
  • 小鶴字羽黒
  • 小鶴字羽山
  • 小鶴字前谷地
  • 小鶴字吉川
  • 小鶴字籠田
  • 小鶴字籠田南
  • 燕沢字前塚
  • 原町苦竹字北谷地下
  • 原町苦竹字新田北
  • 原町苦竹字新田西
  • 原町苦竹字松山

新田小学校のいじめ対策について

いじめに関しては、親として非常に気になるところです。

しかし、実際に新田小学校に子供が行っている親でも把握するのは難しいのが現状です。

こちらでは、

仙台市立新田小学校が出している

「いじめ防止のための対策」

としてどんなことを行っているのか紹介します。

 

仙台市立新田小学校 いじめ防止基本方針

※pdfファイルです。スマホで見れない場合は、Adobe Acrobat Readerなどpdfファイル表示アプリをご利用ください

新田小学校の評判・口コミ

仙台市宮城野区新田の団地内にある小学校になります。こちらの小学校は仙台市内でも上位のマンモス校であり、運動会は何と、近所にある野球スタジアムで行うほど、生徒数が多く、活気のある小学校であります。(2018)

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校章が鶴をモチーフにしてあり、宮城野区では最大の生徒数を誇るマンモス校です。現在でも1200名ほどの在校生がいます。生徒さんは挨拶もきちんと出来て、朝夕の通学や帰宅時もきちんと挨拶ができてます。特徴ある校舎で屋上にプールがあるんですよ!(2018)

 

仙台市内でも数える程しかないマンモス校です。ここ10年ぐらいで沢山の戸建てや賃貸マンション、アパートが出来た事で世帯数が増加した事が要因です。

児童数が多いので登下校時にはかなりの列をつくっていますが、みんな元気に挨拶をし、誰一人として挨拶をしない子は見かけません。これは普段から家庭や学校での教育がしっかりとしているものだと思います。

これからも地域の希望となっている子供達なので、温かく見守ってほしいですね。(2017)

 

新田小学校が開校されたのは昭和41年で、約50年の歴史があります。
学区は開校時からの住宅地である新田や小鶴などの地区と、平成16年に開業した仙石線「小鶴新田駅」を中心とする土地区画整理事業によって市街化が進んだ新田東地区からなります。
生徒数は今や1,200人近くおり、市内でも2番目に大きな小学校となったようです。
校舎は平成26年に改築され、現在 非常に綺麗に整備された施設となっています。
以前よりブラスバンドの活動に注力されているようです。(2016)

引越し手続き・転校手続きについてはコチラの記事をどうぞ

新田小学校学区内の町の歴史

伊達政宗が作った城下町仙台は、

仙台城を出て広瀬川の大橋を渡り大町(現藤崎百貨店のあるマーブルロードおおまち)を東進する東西幹線と、

城下町建設に伴い導入した南北幹線の奥州街道(現国分町通り)を基軸に、

碁盤の目状に町割りが行われました。

また、街は

侍(さむらい)の住む「丁」ちょう

と、

足軽、町人、職人が住む「町」まち

にはっきりと区別されていました。

 

新田

江戸時代、この地は苦竹村と小鶴村の境目になっていました。

仙台藩の家臣で志田郡松山(現大崎市松山)城主の茂庭氏が苦竹村の新田開発にあたり、ここが新田と呼ばれるようになります。

この新田には仙台藩士の屋敷1軒と足軽屋敷25軒が設置されたそうです。

 

昭和に入り、昭和40年頃からこの地でも宅地化が進み昭和41年には仙台市立新田小学校も開校しましたが、新田の東側は依然として水田が広がっていました。

平成に入り、平成6年から平成28年にかけて新田の東側が新田東として造成されました。

それに伴い平成16年には仙石線に「小鶴新田駅」が誕生し、広い道路や大型商業施設、市民球場などがつくられました。

小鶴新田駅前の新田東の街並み

 

小鶴

昔、この付近の長者の家で小鶴子という子持ちの女性が働いていました。

この長者はとても欲張りで使用人をこき使っていたそうです。

ある日、小鶴子は苗代の種まきをさせられたが、その面積があまりに広かったので種をまき終えた頃には背中におぶっていた赤ちゃんはおなかをへらして死んでいました。

小鶴子は悲しみのあまり近くの沼に投身してしまいます。

 

里の人はこれを憐れんで、これ以降この沼を小鶴沼と呼び、その後この地も小鶴と呼ばれるようになりました。

この小鶴沼は、小鶴城跡(現新田東3丁目の屋敷公園南側 屋敷公園はお堀跡)の南側にあったと言われているが、江戸時代には開墾されてなくなっています。

 

 

新田小学校の

概要、通学区、いじめ対策、評判・口コミ

および

学区内の町の名前の由来について紹介いたしました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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