仙台市宮城野区にある
仙台市立榴岡小学校(つつじがおかしょうがっこう)
この榴ヶ岡小学校の概要
- 児童数や学級数
- 通学区域
- 口コミ・評判
- いじめ対策について
- 学区内の町の由来や歴史
など紹介しています。
近々小学校に上がるお子さんがいる方、転勤で仙台にいらっしゃる方、ご参考にしてください。
すぐそばの榴岡公園は江戸時代からつづく桜の名所じゃ
仙台市立榴岡小学校の児童数、学級数、進学中学校
- 住所:仙台市宮城野区東九番丁88-1
- 電話:022-256-3283
- 学級数:30(1学年4~5学級、特学2学級)
- 児童数:923人
- 進学中学校:宮城野中学校、東華中学校
- 最寄りバス停:小田原二丁目から徒歩6分
- 最寄り駅:仙石線榴ヶ岡駅から徒歩5分
榴岡小学校沿革
- 明治40年東八番丁尋常小学校として開校
- 昭和22年仙台市立榴岡小学校に改称
- 令和元年吹奏楽団が3年連続東北大会金賞受賞
- 令和3年全日本アンサンブルコンテスト東北大会金賞
- 榴ヶ岡や榴岡の住所地は、小学校が榴岡小学校と連坊小路小学校、中学校が宮城野中学校と東華中学校(榴岡1丁目の一部は東二番丁小学校から五橋中学校)の通学区が入り乱れています。
- お子さんを入れたい中学校などある場合はご注意ください(いずれの中学校もおすすめ中学です)
※児童数・学級数データは令和4年
榴岡小学校の通学区域
下記の住所が「仙台市立榴岡小学校」の通学区になります。
宮城野区
- 小田原牛小屋丁
- 小田原清水沼通
- 小田原大行院丁
- 小田原広丁
- 小田原山本丁100-13~100-16
- 小田原山本丁100-18~100-18の終り
- 小田原山本丁101-14~101-15
- 小田原弓ノ町100-4~100-15
- 小田原弓ノ町101-1~105
- 小田原1丁目4-13~4-31
- 小田原1丁目5~5-12
- 小田原1丁目6~10
- 小田原2丁目
- 小田原3丁目1~5-23
- 小田原3丁目5-40~8
- 小田原3丁目9-18~9の終り
- 五輪1丁目1~4
- 榴ヶ岡
- 榴岡1丁目2~2の終り
- 榴岡1丁目5
- 榴岡2丁目
- 榴岡3丁目
- 榴岡4丁目1~6-7
- 榴岡4丁目7~7-5
- 榴岡4丁目7-14~7-16
- 榴岡4丁目7-44~7の終り
- 榴岡4丁目8-2~8-7
- 榴岡4丁目8-22~9
- 榴岡4丁目11
- 榴岡5丁目1~9
- 榴岡5丁目11以降
- 鉄砲町
- 鉄砲町中
- 鉄砲町西1~1-14
- 鉄砲町西2以降
- 鉄砲町東
- 名掛丁203-4~203-10
- 名掛丁206-1~206-22
- 名掛丁213
- 名掛丁216
- 名掛丁218
- 名掛丁221
- 二十人町
- 宮城野1丁目
- 宮城野2丁目11~12
若林区
- 新寺1丁目2
- 新寺1丁目5-1~5-27
- 新寺1丁目5-31~5の終り
※上記は榴岡小学校が指定学校の住所です。学区境界の住所地では選択可能校がある場合もあります。通学区見直しなどもあるため、必ずご確認ください。
気になったら駅名・住所で住まいを探してみましょう。電話不要、メールで問い合わせできます。
榴岡小学校のいじめ対策について
いじめに関しては、親として非常に気になるところです。
しかし、実際に榴岡小学校に子供が行っている親でも把握するのは難しいのが現状です。
こちらでは、仙台市立榴岡小学校が出している「いじめ防止のための対策」としてどんなことを行っているのか紹介します。
※pdfファイルです。スマホで見れない場合は、Adobe Acrobat Readerなどpdfファイル表示アプリをご利用ください
榴岡小学校の評判・口コミ
仙台市宮城野区にある榴岡小学校は、仙台駅東口から徒歩圏内で、とても利便性の良い立地にあります。校庭もとても広く大きな小学校です。 明治40年に、開校したらしく、凄い歴史ある学校ですよね。 2019年現在全校生徒数は約900名もおります。
仙台駅東口側にある小学校で、JRの最寄り駅は榴ヶ岡駅です。最近は特に周りに新しいマンションなどがおおく建設されていて、児童数も多くなっているのではないかと思います。朝から校庭では子供たちが元気に遊んでいます。通学路には横断歩道に父兄やボランティアの方が立っていたりもして、通学も安心です。
学校の周りは交通量や人通りが多く登下校で苦労する部分もありますが、ここは昔からの人の繋がりのある地域なので少しでも困っていることがあれば地域の方々が率先して協力して頂いてるので児童、保護者はじめ先生方も安心できます。なかなかこのような地域全体が見守っている所はないなと思います。
榴岡小学校学区内の町の歴史
榴が岡(つつじがおか)
榴が岡の地は文治5年(1189)、平泉の藤原泰衡が源頼朝と戦った奥州合戦において本陣をおいた国分鞭楯(こくぶんむちたて)がこの地であると伝えられています。
また、仙台藩初代藩主伊達政宗が仙台城構築の際、築城の候補地とされた場所ともいわれています。
元禄の頃、この地に桜の馬場(乗馬の練習場)と射的場(弓矢の練習場)が設けられ、馬場の両側にしだれ桜数百株、松・かえで千株ほどが植えられ、付近に茶屋ができて一般庶民の遊楽の地となりました。
江戸後期文政年間の大火で桜の大半が焼けてしまいましたが、明治35年桜の馬場は宮城県が管理する榴岡公園として開園しました。
現在、榴岡公園内には、シダレザクラを中心に約370本の桜が植えられています
榴岡小学校の概要、通学区、いじめ対策、評判・口コミおよび学区内の町の名前の由来について紹介いたしました。
榴岡小学校へ進学、転校する際の参考にしていただければ幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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